私に、私の世界に宗教は存在しません。
そして私は霊体も死後の世界も信じていません。
そんな私、以前に叔父の葬儀でお寺にお世話になりましたが、どうしても上記で述べたことから、お寺の必要性に疑問があります。なので、今回は本当に霊体はいるのか?死後の世界はあるのか?についてつぶやきます。
※何も調べず思うがままのつぶやきなので、間違えがあるかもしれませんがご了承ください。
「何でお寺ってあるの?」
簡単に考えて先祖や無くなった親族を供養する場所ですよね。お寺には必ずお坊さんがいて、お経を読んで供養してくれます。お寺にはたくさんのお墓があり様々な先祖や家族の遺骨が納められています。お坊さんはお墓を見守ってくれて、掃除をしてくれて、時には鐘をついたり、お経などの練習をしたり、お寺の住職であり管理人さんですね。お坊さんのおかげで、皆さんの思いはきっとご先祖や親族に伝わっていることでしょう・・・
でもね、私の感覚で言えば、霊体も死後の世界もあの世も無いので、お寺って必要のない物だと思うのです。
「お坊さんって霊体見えるの?なんか聞こえるの?」
誰しもが思うこの疑問、私は「見えも聞こえもしない」と思っています。多くの人々は霊体が見えませんし何も聞こえません。じゃあ何で皆さんは「いる」って言う?それは、「いる」っていう人がいるからです。「いる」っていう人が「いる」と信じるように仕向けているからです。
しかし私は幽霊が怖いです。矛盾していますね。いないのに怖い、それじゃあ「幽霊が出るかも」と幽霊の存在を認めていることになりますもんね。
違うんです。幽霊は時として見えてしまうんです。「幻覚」として。
幻覚ならば、見える人がいて不思議ではありません。例を挙げれば麻薬中毒者。中毒者は禁断症状として、誰かが自分を狙っていると本気で訴えたり、足や手に虫がたかって登ってくると言って発狂するといった話は有名です。もちろんそんなものいません。しかし彼らは見えているのです。ハッキリと。「脳みそさん」が「そこにいる」と指令を出せば確実に両目で見えてしまうんです。それが幻覚です。
だまし絵、元の絵が変な風に見えてしまう、変わらないように頑張っても、いつしか見え方が変わってしまう。「脳みそさん」次第で目の前の現実が歪んでしまう、これは「錯覚」と言われていますが、広い視野で見れば幻覚とも言えるのではないでしょうか?
そのほかに、寝ている間にまったく意図しない幻覚を見せる「夢」だったり、何も音が鳴っていないのに聞こえてしまう「幻聴」など、「脳みそさん」の指令次第で様々な症状が起こりますよね。
霊体が見えるという人は「私は確かに見える」と自己暗示的なスイッチで幻覚が見えてしまうのではないか?と思っています。霊体を信じない私も暗い通路にいきなり知らない顔が浮かんでいたら・・・「私×1 死亡」です。怖いです。でもそれは何かいたら怖いという「恐怖心」がスイッチを入れて幻覚を起こしてしまうのだと思います。でもやっぱり、100%幻覚だとしても、そんなものが見えたら・・・ちびります。
長々つぶやきましたが、やっぱり私の結論は・・・
「ほとんどが見えていないし聞こえない、たまに幻覚坊主、現る」です。
「死後の世界、あの世ってあるの?」
私の世界、結論言えば「無い」それだけです。霊体自体が無いのですから、そんな世界その物が作り話です。見えない物を語る時、言ったもの勝ちです。「有る証明」も「無い証明」もできません。ある事ない事をいかに真実のように語れるか、信ぴょう性がありそうに語れるかで人々の中に存在してしまうのです。
なに?霊体って。あの世に送っているのになんで心霊スポットにはいるの?恨みがあるから地上に残ってる?なら各地で起こる無残な殺人や事故で無くなったスポットはなんで霊体目撃者いないの?いる場所もある?じゃあ、親族が葬儀で供養して天国へ送っているのに矛盾してない?送ったのに帰ってきた?・・・
もう、実態が無いからなんでもありじゃん・・・
強い怨念を除霊一発で昇天させたとか、あの世では年取らないとか、テレパシー的なもので会話するから異国人の霊とも会話出来るとか・・・呆れてしまう・・・言ったもの勝ちじゃん・・・冷静に考えればおかしいと思わないですか?思いますよね?でも人類は霊体やあの世を信じて葬儀埋葬をするのです。
人の死は無限、これを商売にすれば食いっぱぐれが無いと気付いた先祖が、「死者が見える」「あの世がある」と作り話を広め、死者を雑に扱うと呪われる、バチが当たると人々を不安にさせ、私は死者を安らかにあの世へ導けると自分を特別な存在に仕立て上げ、信者を作ってお布施を貰う。あらかた坊主の先祖はこんな感じで誕生したんでしょうね。目に見えない物を簡単に信じ、崇めてしまうのは話術次第ですよね。現在も簡単に宗教に入信する人もたくさんいることでしょう・・・
神も仏もいないのに・・・霊体もあの世も無いのに・・・信者のお金が目当てなのに・・・
「お墓を無くしたい!」
お墓、いつからあるのか知りませんが、大体の人は生まれた時からあります。普通にお墓詣りして普通に親族が亡くなると納骨し、自身も死んだら入ります。子供がいたら自然に引き継がれるのでしょう。でもね、これ、悪しき伝統です。
「いつまでも右へ習えしてんじゃないよ!いつまでも洗脳されてんじゃないよ!」
考えて下さい、自分が死んだ時のことを。死んだら「無」です。死後に「意識」なんてありません。自分の埋葬に何十万円も誰かに負担させなければなりません。私は嫌ですよ。死後に周りに迷惑かけたくありません。なのでお墓に入ることを断固拒否しています。私は散骨を希望しています。
散骨って、文字通り骨をばら撒く事です。ちゃんと粉末状にして撒けば違法でもなんでもありません。粉末にすることを自分で行えば、一連に掛かる費用は「0円」です。これでいいんです。しかしここにも、食い物にする連中が「散骨代行」や「散骨プラン」と称して金儲けをたくらむ業者がひしめいています。
再度言います。自身で遺骨を粉末状にしてばら撒いてしまえば費用は「0円」です。
骨を砕くというのが気持ち悪いと思う人は代行に頼むしかないですけど・・・
これでお墓は必要ありません。しかしお寺は悪ですね。墓じまいなるものがあります。お墓を処分する際に多額のお金が発生します。これも数十万円です。誰が払うのか?それは墓じまいする人です。お子さんがいる人は、そんな負担を引き継がせたくないですよね。
こればっかりは多額のお金を支払って墓じまいするしかありません。だってあんな墓石を廃棄することなんて個人では出来ませんからね・・・
私は自分の資産を犠牲にして墓じまいを行い、この悪しき伝統を断ち切る予定でいます。死人ビジネスの元凶であるお寺と決別します。ただ、親の世代は信仰が厚いので、だいぶ先の話になりそうですが・・・
霊体のつぶやきが、いつしかお寺批判になってしまいました。
皆さんも、お寺やお墓に対する固定観念をいったん捨てて、必要かどうか、一回考えてみてはいかがでしょうか?
今回のつぶやきは以上です。
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